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神戸大空襲(こうべだいくうしゅう)とは、第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって行われた、神戸市およびその周辺地域に対する戦略爆撃・無差別攻撃の通称。特に兵庫区や林田区など西神戸に大きな被害を出した1945年3月17日と、東神戸および阪神間の町村を壊滅させた6月5日の爆撃を指して用いられることが多い。 神戸とその周辺地域は1945年1月3日から終戦までの間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と、川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。 静岡大空襲(しずおかだいくうしゅう)は、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)6月19日深夜から20日未明にかけて、アメリカ軍により旧静岡市街地が受けた空襲である。 マリアナ諸島から飛びたったアメリカ軍第314航空団のB-29戦略爆撃機137機[1]は伊豆半島波勝崎付近から本土上空に侵入、伊豆半島上空を北上し、富士山手前上空で旋回し静岡市上空に向かうが、一旦静岡市街上